夫の自殺

別居で調停成立から1ヶ月

朝、義父からのメールがありました。

「○○が自宅で死んだ。とにかく来てくれ」

全身の血が逆流する感じがしました。悲しみや後悔といったものではありません。ものすごい怒りがこみ上げてきました。夫は十字架を背負わせようとしたのだと直感で思いました。

ちょうど登校の時間だったので、ひとまず子供たちを学校へ送り出し、義父に電話を入れました。「とにかく帰ってきてくれ」家を出てから1度も話していませんでした。自分の親にも電話を入れました。心配して「付いていこうか?」と言ってくれましたが、気まずい思いをさせたくないと思い、断りました。

向こうで義父母、義姉妹、親戚、近所の方たち…どんな罵声を浴びるだろうと思いましたが、自分の人生に責任を持たなければと思い、きちんと向き合おうと思いました。夫の自殺の直接の原因は私なんだろうと思います。でも正直言って、別居・調停をしたことは全く後悔していませんでした。誰になんと言われても、夫婦の365日を知っている人はいないんだからと思いました。

結局、すぐに学校から子供を戻し、元の家に向かいました。仕事を休む連絡もしました。別居後に入社した会社で、調停のことなども話していたので「頑張ってね」と励まされました。仲良しの同僚からも心配のメールを受け取り、こんな時ですが、私は一人でもちゃんと自分の居場所を作れているんだという自信が湧いてきました。

警察での聞き取りなど

元の家に着いたら、義母が神妙な顔で肩に手を置き、「来てくれてありがとう」と迎えてくれました。何を言われるか構えていた私は、力が抜けそうになりました。親戚たちも割と冷静で、逆に居心地悪いような感じでした。

家族たちは事情聴取で警察に交代で行きました。私ももちろん行かなければなりません。

刑事さんと一対一で話しました。夫は遺書を残していたので、それを見せてもらいました。本当に腹が立ちました。遺書の中には、『子供たちの成長を近くで見ていたかった』などと書かれていました。私は離婚調停中から面会交流をしてきました。月2回、1泊です。夏休みは10日ほど泊りに行かせました。

私は刑事さんに、自分の気持ちをありのまま伝えました。

「子供の成長を見たいって言ってるけど、見ることができていました。もちろん毎日じゃないですが、だからこそ、子供に暴言を吐かなくて済む。優しいパパでいられたと思います。冷たいって思われるかもしれませんが、本当に頭に来ています。死んだら見ることができないじゃないですか」

ずるくないですか?私には散々「お前は心が弱い」「こんなことで傷つく方が悪い」など言ってきた夫です。なのに自分は、別居成立後1ヶ月でもう音を上げています。

散々「やり直そう、悪いところは直す、家族のために生きる」など耳に心地良い言葉を使ってきて、実際はそんな覚悟無いじゃないですか。時間は掛かるかもしれないけど努力するって言っていたのに。

モラハラを知ってからも、夫に怒りは覚えませんでした。悲しさ、虚しさ、疑問、自分に呆れるなどの気持ちはありましたが、不思議と夫に対してマイナスの感情を持てませんでした。でも夫の自殺は、私に対する当てつけのように感じました。ここで初めて怒りを感じました。

刑事さんも「奥さんが冷たいとは思いません。やっぱり自殺してしまう方は弱いと思います」と言ってくれました。もちろんいろんな事情があります。学生ならイジメとか、社会人でも病気を苦にとか。ただ少なくとも私の夫に対しては”弱さ”ゆえだと思いました。なので、刑事さんも共感の姿勢を示してくれたのだと思います。

「私も母子家庭で育ちました。お母さん、これから頑張ってください」と励ましてもらい、警察を後にしました。

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コメント

  1. キジ より:

    初めまして。
    同じくモラルハラスメントと夫を自死で亡くした通りすがりのキジと申します。
    私は昨年に、家を購入してすぐ、おまけに出産直前という、とんでもないタイミングでシングルマザーになりました(-_-;)

    つうこさんや同じような境遇の皆さんと違い、離婚に向けて進んでいたというわけでも、夫婦で揉めていたことがあったわけでもなく、本来でしたら幸せの絶頂だった・・・はず。

    購入間もない家は団信おりないですし、生命保険や学資保険も同様に免責期間に引っかかり全滅でした。
    おまけに夫は事業をしていて借入があったので、遺産相続どころか相続放棄しました。

    再婚同士だったのですが、夫は自分の両親には、本当にいい息子だったようです。
    霊安室で大変な目にあいました(笑)。
    おかげで葬式関係、夫の事業一切合切、全部持っていってもらいました。

    夫は別職種で仕事をしていましたので、自殺した翌日には、普段付き合いのあった弁護士、税理士、司法書士と連絡をしてすべて放棄する方向性で決めていました。(いかんせん負債が家2つ分くらいだったので)

    そもそもの仕事もこなしながら、出産ギリギリまで役所に通い詰めて出来る限りの手続きを進め、保育園の相談もしました。葬式やあちらの親族とバトルしていたらできなかったので、冷たいですが最善の選択だったと思っています。
    こちらで負担する必要のなくなった葬式代で早々に引っ越しもしました。
    (相続放棄したら住めないし、そもそもフラッシュバックがすごくて頭がおかしくなると判断したため出産前にこなしました。頑張りました・・。)

    それから1年、本当に大変でしたが何とかやってきました。

    だいぶ落ち着いてきた最近になり、ようやく冷静に、夫がなぜ自死を選んだのだろうと考えるようになり、色々調べているうちにこちらのブログにたどり着きました。

    私もモラルハラスメントを受けていました。
    今頃気づきました(-_-;)

    モラハラ夫項目にほぼ当てはまりました。
    ・異常な束縛(GPS、携帯・カバン・財布のチェック)
    ・夕方以降は絶対外に出られない
    ・忙しいとわかっている締め日などでも、仕事で残業は1時間以内。通常は定時で帰宅しないと機嫌が悪くなる。
    ・車の運転がとにかく荒い(しつこく引っ付きまわさないだけで、テレビでよく見るあおり運転と一緒)
    ・私の事をお前と呼ぶ
    ・外面が良い(保育園の先生にはいいパパって言われてました・・)
    ・他人の目をやたら気にする(見栄っ張りでした。)
    ・私の気分や体調お構いなしで夫婦生活(子供は年子で間に初期流産した赤ちゃんがひとり)
    ・私の仕事の事をバカにする、職場の人を悪く言う
    ・マザコン(再婚を隠していた。以前に、拒絶されても挨拶にきちんと行こうと言ったら、こっちの事情があるんだと怒鳴られたことがあります。以降話題にも出さないようにしていました)

    これだけのシグナルがありましたが全然自覚がなかった怪。
    洗脳されていたんでしょうね。私が至らないんだって思ってましたもの。

    ただ、ご飯だけはいつも必ず美味しい美味しいってたくさん食べてくれていました。
    (前の奥さんが料理をしない方だったらしいので)
    そこだけはモラハラ夫項目から外れるかな。

    夫がモラハラ夫だったんだとわかったら、びっくりするくらい気持ちが楽になりました。
    ずっと自分を責めていました。何で助けてあげられなかったのかなって。

    でもモラハラ夫の思考回路をネットで調べましたら、自己愛の塊というか、本当に自分の事だけなので、私の夫も、最期は自分の事だけを考えて選択し行動したということだと思います。

    一方的に逃げられたし、借金しか残してくれませんでしたが、少しですが国から遺族基礎年金がいただけるので、それは大変に有難いです。

    当時から完全にモラハラを受けていて、思い返せば、ちょいちょいひずみが生じていたように思います。夫に脅威を感じていたし、息苦しい生活だったのは事実。
    そのうち暴力が始まっていたかもしれません。幼子抱えて離婚となったら、もっともっと苦労していたでしょうね・・。
    崩壊する前に、いいタイミングで別れたんだなとポジティブにとらえることができました。

    • つうこ より:

      キジさん、初めまして。コメントありがとうございます。私の拙いブログが、少しでも心を軽くできたのなら嬉しいです(^^)
      返信代わりに記事を書きましたので、良かったら読んでください。『コロナDV,大丈夫ですか?』
      新型コロナの影響がますます大きくなっていて、小さい子供たちを抱えて不安もいっぱいあるかもしれませんが、むしろ夫がいなくて良かったんだと、気持ちを楽にして乗り切りましょうね!

  2. とびこ より:

    つうこさんはじめまして。今年3月に結婚20年目でモラハラ夫にモラハラを指摘したらいきなり自殺しました。こんなに簡単に死ぬんだ、と呆れています。彼にとって、家族なんてどうでもよくて、ただ自分の気分を害する存在でしかなく、ぼくちゃん悲しいから死んじゃお、みたいなノリで死んだな、思っています。カウンセリングの先生以外、外では決して言えませんが、夫は無駄死にです。こどもたちと楽しく生きていきたい、こどもの幸せが私の希望です。時々夫に引っ張られそうになるので、その時は急いでつうこさんのブログを読みにきますね。とり急ぎお礼まで。

  3. りぼん より:

    こんにちは。ブログ何度も読ませていただいています。
    モラハラ夫が自死した、りぼん(飼い猫の名前)
    と申します。調停を申し立て、あと1か月で初の調停が始まるタイミングでした。寝たきりだった義父も亡くなり、親族から吊し上げられまくった49日でした。今日で50日、手続きは全然終わらないし、毎日途方にくれています。
    直後からつうこさんのブログに励まされてきました。自死は妻の責任ではないと言うスタンスを取ることができたのはつうこさんのおかげ様です。つうこさんにであわなかったら、自身のモラハラ行為を、死を以てお詫びします、と死んで行った夫への罪悪感で潰されていたと思います。
    こどもと3人で、もう何も壊されることのない、平和な暮らしを取り戻しています。夫が死去してから通算5分も泣いていません。気持ち悪い親族はいずれ時期を見て関係終了届を役所に出すつもりです。
    これでコロナ禍が終わったら言うこと無しです。そうは言ってもこどもはケアを続けるべきと考えています。今日はこども用の自死遺族の集まりにいくかどうか、話を聞きに行くため、朝からブログにお邪魔しました。私は生きて生きて生き抜いて、天寿を全うします。
    とうこさん、生きる力を授かる文章をありがとうございます。

    • つうこ より:

      りぼんさん、こんにちは。
      いろいろ大変でしたね。私は親族からの吊し上げがなかったので、いくらか気持ちは楽でした。義父は言いたいこと言っていましたが。
      返信代わりの記事を書きましたので、良かったら読んでください。『前へ』
      こども用の自死遺族の集まり、どうでしたか?ウチはあれから6年以上経ちました。すっかりたくましく、でかくなった子供たちですが、「父」がいないという事実はありますからね…。何かの節目ごとに向き合わなくてはいけないところです。

  4. ケイ より:

    つうこさん、はじめまして。
    他の方のコメントを拝見しても、つうこさんや皆さまも苦しく、悔しい日々だったと思います。モラ夫が自殺してくれるのが反対に羨ましく思えます。
    私はモラハラ10年、子どもたちがまだ小学生、保育園の頃に一度別居したものの、別居中の裏返った優しさに改心したかと思い、再同居してしまい3年経ちました。
    モラハラはコロナ在宅で激化し、私自身が自殺したいと思うようになりました。
    子どもたちは何度も転居してるから環境を変えたくないと一緒に出てくれません。
    もう中1と小4と大きいので自分たちの意思が尊重されてしまいます。
    行政の女性相談に行ったら、子どもたちへの心理的虐待になってると児相と連携してケアを進めることになりました。
    私は1人でも逃げて、と相談や弁護士にアドバイスされ、1人で家を出る準備をしてます。
    どれだけ支援を固めても何より子どもたちが気がかりで夜も眠れないです。
    私さえ我慢してれば…と思うけど、モラオの前では子どもの前でDVを見せ続けることになる。どうしたらいいんでしょうね。

    • つうこ より:

      ケイさん、はじめまして。コメント、ありがとうございます。
      返信代わりに記事を書きましたので、読んでいただけると嬉しいです。私ならどうするだろうって考えながら書きました。考えれば考えるほど悩んでしまうけど…。とにかく、ケイさんが少しでも何かを決めるきっかけになればいいなと思います。

  5. 彩羽 より:

    初めまして、2月に夫の爆発期の際に子供を連れて家をでました。
    その時にこちらのサイトをしり、勇気づけられました。
    2月下旬に弁護士さんに離婚に向けてのお願いをし、3/1に夫に弁護士経由で離婚の意思を伝えました。
    私が求めている真逆の謝罪が私の弁護士さん経由で数回ありましたが、その時は怖い気持ちが強く、精神的に参っていること、離婚の意思は固いことを再度弁護士さんに伝えてもらいました。
    夫はその連絡の翌日くらいにうつ病と診断され、会社を休職しました。
    3月下旬ごろ夫も弁護士と契約、話し合いがスタートしました。
    離婚は私の希望と夫との希望との相違で長引くだろうと思っていました。
    6月に夫の弁護士から夫が入院しているため、交渉中断と連絡がありました。
    調停も申し立てされても、弁護士も義母経由で夫と連絡を取っているらしく、無理といわれましたが、私の方から先月、離婚調停・婚姻請求調停の申し立てをしました。
    離婚は何年かかってもいいけど、婚姻請求はしておきたかったのです。
    これから次のステップに進む。会うのは怖いけど言いたいことはたくさんあり、
    どう伝えようと思っていたところでした。
    ところが夫が線路事故で無くなりました。自死でした。
    知ったのは自死した次の日。
    その日は息子の誕生日で、息子と午前中映画を見に行っていました。
    映画が終わり、スマホの電源を入れてしばらくすると、私の弁護士さんから連絡が入りました。
    息子の誕生日に夫から何かアクションがあったのかな?という気持ちで電話に出ると、自死したことを伝える電話でした。
    夫の弁護士からの連絡で鉄道会社から損害賠償が来ること遺産相続などしっかり考えられてなどの内容が書かれていました。
    SNSのこの時代、調べるとすぐ出てきました。夫のことのニュースが。
    でも、心のどこかで未遂であってほしい。別の方であってほしいと願いました。
    寂しさ悲しさより、子どもの事、これからの事、損害賠償のことなどが頭をよぎりました。
    その日のうちに、私の弁護士さんと会い、夫のことが事実と知りました。
    私がした行動には後悔はありません。
    ただ、子ども達はもう一生父親に会えないのだという現実を受け入れるまで時間がかかります。
    中学生と小学4の二人の子供には、いまいう時期ではないと思い言っていません。
    自死ということは一生伝えないと思います。
    夫は葬儀はせず、火葬後に義母が遺骨を管理するとの事でした。
    お別れに行けない状態で、しっかり気持ちの区切りがないまま進む現実。
    夫の実家に行けばいいのでしょうが、エゴにも感じます。
    私は楽になると思います。
    それでも行くべきかどうか・・。弁護士に相談をまだしていません。
    気持ちが追い付かない状態です。
    長々とすみません。
    聞いていただきありがとうございました。

    • つうこ より:

      彩羽さん、初めまして。辛い体験を話していただきありがとうございます。
      返事代わりの記事を書きましたので、よかったら読んでください。『【コメント】夫の線路事故
      とにかく、月並みなことしか言えませんが「日はまた昇る」です!