虚しさだけを残して

 幸せはどこにでもあるのに

夫の死からしばらくは、様々な手続きに追われる日々でした。一段落ついて、私の胸に広がったものは、ただ虚しい気持ちだけでした。

夫の人生ってなんだったのかな。

『夫の自殺』でもちらっと書きましたが、私は夫に何度も「そういうのは傷つく」という話をしていました。明るく言ったり、真剣に言ったり。でもその時の答えはいつも「こんなことで傷つくお前が悪い」「これぐらいで傷つくなんてお前は線が弱い」「もっと自信持てよ」「悪口言わなくなったら俺じゃない」「傷つく日、楽しい日があるから良いんだ。平坦だとつまらない」などなど。

そうやって人に強くあることを散々求めていた本人が、調停成立後1ヶ月でうつ状態で死を選ぶ。鬱病の方が死を選んでしまうことを否定しているのではありません。簡単に言えば

えらそうにしていたくせに、自分はなんだよ

ということです。直後は怒りでいっぱいでしたが、それも過ぎると、夫の言っていたことは何だったんだろう…って。この人は何がしたかったんだろうって。

友達と話していた時のことです。私と娘は、少し前からスーパー銭湯に通っていました。お値段もお手頃で、のんびり癒されていました。その話をして、「ダンナもさ、広いお風呂につかって『あ~幸せ~』って思えれば良かったのにな。そんな小さなことでも幸せ感じられたのにな」と言ったとたん涙があふれました。お通夜でもお葬式でも涙は出ませんでした。でもその時は、ほんとになんでだろ、なんでだろって思って、死ぬほどのことがあるのかって思って、涙が止まりませんでした。友達も一緒に泣いてくれました。

 何にもない

残念ながら夫は待てませんでした。詳しくは『調停成立後の夫の態度』に書きましたが、調停成立したら、またすぐ私と会って、そしてすぐ元通りにしようと思っていたようです。それを私が拒否したため、絶望なのか腹いせなのか、自分の責任転嫁ができないことへの苦しさなのか、死を選んでしまいました。

反省の手紙や土下座などは、モラ夫の得意の揺さぶりだと、頭ではわかっていました。でも、心のどこかでは、もしかしたら夫は本当に反省しているのかも?って思っていたのかもしれません。

でも、全然です。全然時間をかけて修復しようという気持ちはありませんでした。なんだったのかな。夫と結婚していた10年間。夫にとって、私にとってなんだったのかな。子供が3人もいるのに、自分は死を選んじゃうってどういうことなのかな。私が憎くてっていうのはわかるけど、子供たちにとってパパが死んじゃうってどういうことか考えたことあるのかな。

そうまでしてしまうほど苦しかったのかな。でも、なんでそうなったか考えたのかな。そもそもなんで、私が3人の子供を連れてまで家を出ようと思ったのか、本当に考えてくれたのかな。シングルマザーで働き詰め、最悪生活保護になってでも、父親から子供たちを離さなきゃと思ったのはなぜなのか、大変なのわかっててそれでも家を出た妻のこと…。

夫に対しての怒りや恐れ、もろもろの感情は無く、ただからっぽです。悲しくて、寂しくてでもなく、ただ何だったのかな、なんにも残ってないなという感じです。

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